浅草和装履物店 辻屋本店 四代目 富田里枝です。
日本の伝統的な履物の良さは「鼻緒を挿げる」という技術なくしては語れません。
<挿げ職人>を未来に残し、挿げの技術を伝えることは履物専門店の役割です。
もはや全国でも僅かとなってしまいましたが、和装文化の大切な一端として、なんとしても守っていかねばと思います。
あらためて、和装履物専門店の変遷を振り返ってみます。
下駄から靴へ
着物が普段着として着用されていた頃は、下駄や草履も日常的な履物でした。全国の町や村には当たり前のように「はきもの屋」があって、鼻緒を挿げる職人がいたと考えられます。
戦後、洋装化が急激に進み、大量生産の靴を安価に製造できるようになると、和装履物の日用品としての需要は減り、下駄や草履を売っていた店で靴やサンダル等を置くようになります。
着物がハレの衣裳になって
高度成長期に入ると、きものがハレの日に着る衣裳としての位置付けになり、和装履物もフォーマル用しか必要がないという人の割合が増加します。
後継者不足もあって街の商店街にあるような小さな履物店が辞めていき、呉服店や百貨店の呉服売り場で、着物と一緒に履物を購入する消費者が増えていきます。
挿げ職人が常駐していない呉服店などにとって売りやすい「最初から鼻緒が付いている草履や下駄」が一般的になります。
職人がその場で足に合わせて鼻緒を挿げないと、痛かったり歩きづらかったりするので、「草履は疲れる」「下駄は痛いものだ」という認識になってしまいます。
身近な「はきもの屋」がなくなると、消費者に和装履物の正しい知識が伝わらず、ますます専門店で購入する人が減っていきます。
<挿げ>の技術を残すために
一方で着物メーカーが草履や下駄を作ると、履き心地よりデザインを重視したり、台のクッション性にばかり拘り、<鼻緒の挿げ方>については無視されがちになります。
こうして全国の履物専門店はさらに廃業してゆき、技術を持った挿げ職人の減少も止まらないのが現状です。