日本の履物は、なぜ左右がないのか!?

履物つれづれ

日本人は履物の左右を作れなかったのか? 作らなかったのか?

ご存知でしたか? 草履や下駄などの和装履物は、基本的に左右がないのです。

靴はもちろん、東南アジアやエジプトなどで見られるいわゆるサンダルは、同じように鼻緒の履物でも左右があります。足は左右で形が違いますから、その方が当然のように思われます。

しかし、日本の履物にはないのです。不思議だと思いませんか?

長い歴史を誇る日本の伝統履物ですから、器用な日本人のこと、当然左右を作ろうと思えば簡単にできたことでしょう。おそらく、実際に作った履物屋もあったに違いありません。
それでも、そういうものが主流になることはありませんでした。下駄や雪駄、草履では、左右の区別がなく鼻緒の前ツボがど真ん中にあるのが現在でも当たり前なんです。

その答えは・・・西洋の靴が「足」の機能の進化系なのに対し、日本の履物は、「床」や「畳」の進化系だからではないかと考えられます。どういうことか、その発想の違いを説明しましょう。

え?下駄や草履は、機能進化したポータブル床や畳!?

道具は、何かの機能を進化させる発想でできてきます。例えば、斧や刀は手や腕の機能進化、メガネや双眼鏡は目の機能進化・・・などというように。

狩猟採集をしてきた西洋文化では獣から身を守るため常に靴を履いてきました。荒野でも足を傷めない丈夫な靴が発展していきます。建物の中でも靴を履いたまま過ごすのがスタンダードです。

一方で、高温多湿な日本で稲作を中心とした農耕をしてきた日本人は、昔から床を上げ風通しを考えた高床式の家で素足で暮らしてきました。日本人にとっては清潔な床や畳を素足で歩くのがスタンダードです。

では、下駄や草履とは何か? それは、建物を出て次の建物に入るまでの“繋ぎ”として、自分の足の下だけに置いた「マイポータブル床」「マイポータブル畳」なのではないでしょうか。つまり、日本の伝統履物は足の機能進化ではなく、床や畳の機能進化だということです。

鼻緒が荷物にかけたヒモと持ち手だとしたら・・・

鼻緒は荷物を持ち運ぶためにしばったヒモのようなものです。マイ床やマイ畳という「荷物」を足の指に引っ掛けて歩くためにかけた「ヒモ」。いったいどこに「持ち手」をつけると思いますか? 当然真ん中ですよね!

それが、日本の伝統履物の鼻緒がど真ん中に付いている理由。つまり左右の区別がない理由なのではないかと筆者は考えています。

事ほど左様に、物事の捉え方と発想が異なるのが「文化」というものです。その「違い」こそが世界に多様性をもたらし、その違いを楽しむことがより豊かな未来を迎えるコツなのではないでしょうか。

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とはいえ、ここに書いたのはひとつの「説」です。文献などで示されているものではありません。西洋文化に触れる以前の日本人にとってそれはあまりに当たり前のことで、特に変わったこと・世界でもユニークなことだなんて思いもしなかったのでしょう。

さて、あなたは、どう思いますか?

文責:富田剛史(和装履物文化研究所 研究員/トミタプロデュース株式会社)

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